第5話「ヴァイス・シュヴァルツ・ゴルデン」


戴冠式を無事に終えてから数日後、ミフユたちはアイリーン王国を訪れていた。

 

すでにミフユの国王就任の挨拶と今後の両国の関係性についての再確認などの会談を終え、街の外にいた。

 

「おじい様、色々ありがとうね。刀も新しい装備もすごい嬉しいわ」

 

ミフユはそう言うと祖父であるコテツに笑顔を向ける。

 

「おぉ、お前の要望通り完成してよかったわい!!とても似合っておるぞ」

 

「ありがとう♪」

 

そんなやり取りを隣で聞いていたミフユの父ゾマーグは仮面で表情は見えないが少し不満そうに言う。

 

「しかしお前、なんでわざわざ装備の発注を義父上のとこにするんだよ。武器はまぁお前が刀好きなのは知ってるけど防具はレグルスのだって素晴らしいだろ」

 

「まぁそりゃそうなんだけど、レグルスの鎧ってゴリゴリっていうかガチガチっていうか…重いんだもん」

 

「重いんだもんって…主が自国の装備使わないっていうのはな…」

 

「もー…パパうるさい。主だろうが王様だろうが私は私の着たいものを着るの!! ママの故郷の衣装なんだしいいでしょ!!」

 

「むぅ…」

 

「それにおじい様に頼んだのはこの胴装備だけよ。このスカートとブーツとかはレグルス産!!」

 

そう言うとミフユはクルッと回り自分の衣装をアピールする。

 

上半身は紫色の和装でミフユらしく少し肌を露出したもので、下半身は黒のプリーツスカート風で膝上までのソックスにブーツを履いている。和洋折衷的な衣装である。

 

戦闘用の装備にしてはかなり軽装であるが、ミフユの戦闘スタイルではこのくらい軽装の方が戦いやすいらしい。

 

それに桜花島産の生地を使った衣は特殊でかなり軽くそして丈夫なのである。

 

この装備のデザインや機能にミフユはかなりご満悦であるが、父ゾマーグは色々不満らしい。

 

「お前それにそのスカートも短すぎだろう…そんなんで戦闘したら…」

 

「うるさいなー!!ちゃんとスカートの下に見えてもいいやつはいてるってば!!」

 

流石のミフユも父の小言にイラつきだす。

 

「まぁまぁ、パパもミフユちゃんも落ち着いて。ミフユちゃんも考えてこうしてるんだからパパもわかってあげて??」

 

親子の言い合いを落ち着かせに入るサクラ。

 

「まぁ…サクラがそう言うなら…」

 

そして簡単に折れるゾマーグ。

 

「なんでママの言う事はすぐ聞くのよ!!」

 

そんなやり取りをみてコテツは「がっはっは!!本当に仲が良くて何よりだ」と豪胆に笑い飛ばす。

 

そして同じくそんなやり取りをミフユの横で黙って見ていたハルカが口を開く。

 

「お話中申し訳ないんですが、コテツさんそろそろお時間なのでは??」

 

「おっとそうじゃったな!!もっとのんびり話していたいが自分の国ほったらかしにしておく訳にもいかんからな」

 

そう言いながらコテツは馬車に乗り込む。そしてゾマーグとサクラもそれを追うように馬車に乗り込む。

 

「それじゃあミフユ、俺たちは一足お先にキルシュバオムに行ってるからな。ハルカもミフユの事頼んだぞ」

 

ゾマーグのその言葉にハルカは「はい」と頷き、ミフユも「はーい」と軽く返事をする。

 

「それじゃあおじい様、また数日後にそちらに挨拶に伺うわね」

 

「おぅ、楽しみに待っておるわ!!」

 

「パパもママもまたね!!」

 

ミフユのその言葉に二人は笑顔で頷く。ゾマーグもたぶん笑顔だ。

 

そしてコテツの「ではな」という言葉を合図に馬車が発車する。ミフユはその馬車が見えなくなるまで手を振った。そしてその手を振り終わるとひと伸びする。

 

「んん〜!! …はぁ…。とりあえず夕飯はアイリーンで食べて帰ろっか」

 

「そうだね。アイリーンと言えば海鮮か〜!! 焼き魚とか煮魚がいいな〜」

 

「魚か〜…骨ないやつがいいな」

 

そんな会話をしながら二人は夕日で染まった街の中へと入って行く。

 

 

 

「うーん…どのお店にしよっか?? …ヴェルにおすすめ聞いておけばよかったわね」

 

そう言いながらミフユはキョロキョロと街を見回す。

 

「こういう時はおすすめよりも意外となんとなく入ったお店が穴場だったりするのよ」

 

「えー…事前情報なしで?? 流石ギャンブラーね…」

 

そんな話をしながら食事をするための店を探していると後方から大きな声が聞こえる。

 

「食い逃げだー!! その二人を捕まえてくれー!!」

 

ミフユとハルカはその声の方を振り向くともの凄いスピードで走り去っていく影がみえた。

 

ミフユはそれに反応してすぐさま駆け出す。

 

「ちょ…ちょっとミフユ!!」

 

ハルカも慌ててミフユを追いかけるのであった。

 

 

 

 

 

オレンジ色の太陽がもうすぐ沈むという時刻、アイリーンの城下町は夕食を楽しむ人々やこれから食事をしようとする人々で賑わっていた。

 

アイリーン城から少し離れ、街の中央部あたりの繁華街は自慢の海の幸が楽しめる飲食店が並んでいる。

 

しかし幸せそうな人々の声で賑わっていたこの場所もある絶叫によってざわつきへと変わってしまった。

 

「食い逃げだー!! その二人を捕まえてくれー!!」

 

飲食店の店主かそれとも店員か…おそらく前者ではあるだろうが、彼の怒号が繁華街に響いた。

 

その怒号を背にふたつの影が人ごみを器用によけながらすごいスピードで駆け抜けていく。

 

「…ったくなんでおめーはいつも余計な事ばっか言うんだよっ…」

 

全くスピードを緩める事なく人ごみを巧みに避けながら褐色の肌の黒髪の女性が呟く。

 

その頭には狼のような耳が生えており尻尾も生えている。その黒ずくめの女性は獣人である。

 

そしてその彼女のつぶやきに答える影がもうひとつ。

 

「何がいけないと言うのだ? この大陸で払えるものがなかったのだから仕方がないだろう」

 

この女性は黒髪の女とは対照的で美しい銀髪と白き肌を持ち、衣装も白を基調としたものでまるで雪のような女性である。

 

尊大な態度で黒髪の女に文句を言っているが、高速移動する彼女に首根っこをつかまれふわふわ浮いている状況なので威厳はない。

 

しかしこのスピードで移動し、こんな状況なのに顔色ひとつ変えないのは中々すごい。

 

「だからと言ってあの場面であんな言い方する奴がどこにいんだよ!!」

 

「ふははは!! ここにいるぞ!! それに私だって最初は丁寧な対応してやったぞ? それなのにあの店主は…」

 

「あー!! はいはい!! わかったよ!! …しかしミスったぜ…普通に考えればわかる事だったのによ…おかしいとは思ってたんだ…」

 

「ほぅ、なにがわかる事だったと言うのだね『ヒヅキ』」

 

「…『シッキー』てめぇ…俺の事馬鹿にしてやがるな? …このまま置いていくぞ!?」

 

黒髪の獣人の女性が『ヒヅキ』。銀髪の子が『シッキー』。どうやらこれが二人の名前であるようだ。

 

「このまま置いていかれては困る。それは君も同じだろう?」

 

相変わらずゆらゆらと宙に浮きながら偉そうだ。しかも言葉遣いもどこかの軍の大佐かと思うような口調だが、やたら声が可愛いのである。

 

こういうのをギャップ萌えとでも言うのであろうか。

 

こういった事もあり偉そうにしててもヒヅキは本気で怒れないというのも事実であった。

 

「このっくそっ…」

 

「まぁ確かに我が国の硬貨がこの大陸で使えないというのは少し考えればわかることだったな」

 

「まぁ…だよな…そして最初に行った酒場も数日泊まった宿屋も俺がいない間に支払済ませてると思ったらあんな事やってたなんてな…ん??」

 

ここでようやくヒヅキたちは自分たちを追いかけている金髪の女性に気づいた。

 

「ほぅ…あの女…ヒヅキのスピードについてくるとは中々やるな」

 

「くっそ…なんだアイツ…シッキー、スピードあげるぞ!!」

 

「うむ」

 

ヒヅキの速度が上がるがそれでも顔色ひとつ変えないシッキーであった。

 

 

 

 

「くっ…速いわね…」

 

食い逃げ犯を追いかけてはいるが逃げ足が速くて中々追いつけないのでミフユは少しイラついていた。

 

「!? …スピードが上がった!?」

 

食い逃げ犯たちはミフユに気づいたのか、更に速度を上げた。

 

「ちっ…仕方ないわね…街中で魔力使うのも気が進まないけど…脚に集中させて…ふっ!!」

 

ミフユは自身の魔力を脚に集中させて一気に大地を蹴る。

 

すると先ほどとは比べられない速度で相手を追いかける。

 

相手も相当自分のスピードに自信があったのだろう。かなり驚いている。しかし驚く事に黒い獣人は更に速度を上げたのだ。

 

「嘘っ!? まだ上がるの!? …でもまだまだ…」

 

ミフユも必死に食らいついていった。

 

 

 

 

「くっそ…なんなんだアイツ…まだ諦めねぇのか…」

 

どれだけギアを上げてもついてくる金髪の女にヒヅキは少し恐怖を感じていた。

 

「ふむ…ここまでヒヅキについてくるとはいささか計算外であったな」

 

「どうする?シッキー…俺たちは今捕まるわけにはいかねーぞ」

 

「そうだな…かくなるうえは…。丁度日も沈んだ事だ…ヒヅキ、街の外のなるべく暗いとこに彼女を誘導してくれ」

 

「あぁ、わかったぜ!!」

 

そう答えるとヒヅキは速度を維持したまま街の外へと向かった。

 

 

 

 

犯人たちを追いかけているミフユだが、途中から自分がどこかに誘導されているという事に気づいた。

 

しかしそれはミフユとしても好都合。このまま鬼ごっこをしていても埒が明かないのでどこかで直接向き合いたいと思っていた頃合いだった。

 

そして気づけば街の外の灯りのない荒野へと誘導されていた。月明りはあるものの暗くて周りがよく見えなかった。

 

ミフユの前に黒い獣人と白い妖精のような子がいるというのがうっすら見えるくらいだった。

 

そして黒い獣人のヒヅキは口を開く。

 

「なにもんだアンタ…俺のスピードについてくるなんて…」

 

その問いにミフユは答える。

 

「食い逃げ犯のあなたたちに答える義理ある??」

 

「食い逃げっ!? ちが…くはねぇけどあれは!!」

 

「何?? どんな事情があるにせよ、とりあえず捕まりなさい。話はそこからよ」

 

この言葉に今度はシッキーが口を開く。

 

「残念だが我々はこんな事で捕まるわけにはいかないのだ」

 

ミフユはシッキーの言葉と声に一瞬キョトンとする。

 

「あなた…そんな少女みたいな可愛い声しているのにもの凄い偉そうな口調ね」

 

少し笑ってしまっていた。

 

「ふふふ…それはそれはお褒めいただき嬉しいですわ」

 

さっきまでの口調が嘘みたいに今度は貴族のような話し方をする。正直こっちの方がしっくりくる。

 

「なんだか不思議な子ね…それで、捕まらないならどうする気??」

 

ミフユの挑発にヒヅキは乗る。

 

「アンタもわかってんだろ?? こんなとこにおびき寄せられたんだから」

 

「まぁそうね…それじゃあやりましょうか」

 

「話が早くて…助かる…ぜっ!!」

 

そう言うとヒヅキは音もなく地面を蹴り、そしていつの間にかミフユの背後に回った。

 

「え??」

 

辺りが暗くて見づらいというのもあってミフユはかなり反応が遅れた。ヒヅキの気配が自分の後ろに感じたと思った時にはヒヅキの蹴りがミフユに繰り出されていた。

 

「くっ…」

 

反応は遅れたが辛うじて腕でガードできた。

 

しかし回避能力の高いミフユがこの暗闇とはいえいきなりガードする事になるとは本人も思ってはいなかったので多少の動揺はあった。

 

「速いのは逃げ足だけじゃないのね」

 

それでも余裕の表情は崩さないミフユ。

 

「まさかあのタイミングでガードされるとは思わなかったぜ。アンタも中々やるな」

 

「それはどうも」

 

余裕をみせてはいるがヒヅキの攻撃は中々厄介であった。ただでさえ視界が悪いというのに足音だけではなく気配も感じ取りづらいのである。

 

気づいた時には後方や左右にいて攻撃を繰り出してくる。真正面からの攻撃は絶対にしてこないのだ。

 

「くぅ…」

 

辛うじてギリギリでガードはしているがヒヅキも徐々にスピードを上げているため、多少の被弾はしていた。

 

幼き頃より父に攻撃回避の仕方を叩きこまれてきたミフユはここまで攻撃を受けた事がなかった。直撃ではなく、ヒヅキの攻撃力も高くはないので一撃のダメージはそうでもないが、このまま食らい続けるのは危険だ。

 

「おいおいどうしたよ!! さっきまでの威勢は!!」

 

ミフユの事を煽っているヒヅキだが、実はこちらも驚いていた。夜で暗闇という自分の戦闘スタイルにとっては好条件な状況でここまで耐えられるとは思ってはいなかったのだ。

 

「ふむ…やはりあの金髪のおなごは只者ではない…」

 

相手を観察し、分析しようと手を出さずにじっと戦いを観ていたシッキーがそう呟く。

 

ヒヅキの攻撃は止まらない。

 

(このままじゃこっちが危ないわね…嫌だけどこれしかないか…)

 

ミフユは心の中で何か決心しふぅ…と一旦息を吐いた。そして上げていたガードを下げたのだ。

 

「やっと観念したか…それじゃあ終わりだ!!」

 

その叫びとは真逆にまたも音を立てずフッと消え、ミフユの横から思い切り蹴りを顔面に向けて放った。

 

ゴッ!! という鈍い音と共に見事ミフユの顔面に直撃した。クリーンヒットのいい感触があったためにヒヅキは一瞬次の行動が遅れた。

 

しかしミフユはそれを見逃さなかった。

 

「が…我慢…!!」

 

蹴りで吹き飛ばされないように地面を踏みしめその攻撃を耐えたのだ。そして行動を止めてしまったヒヅキに渾身の力を込め右拳を突き刺そうとした。

 

「なっ!?」

 

行動が遅れたヒヅキは避ける事はできないと思い、咄嗟に自分の胴の前に手を出し力を込めた。

 

ミフユの拳が到達する間際、なんとヒヅキの手のひらに冷気が集まり、分厚い氷が現れたのだ。

 

避けきれないと察したヒヅキはこの氷を盾にしようと考えたのだ。

 

だがしかし女子力(火力)全開の渾身のミフユの拳である。その分厚い氷を粉砕してその氷の盾ごとヒヅキを吹き飛ばした。

 

「ぬぁっ…!!」

 

数十メートル吹き飛ばされ、傍観していたシッキーの隣まできてようやくヒヅキは受け身がとれた。

 

直撃ではないが拳圧でみぞおちあたりがひりひりしていた。

 

「いててて…なんだよあの馬鹿力…ありえねぇだろ…」

 

「ふむ…ヒヅキの攻撃をさばききれないと思い、あえて攻撃をうけて一撃を狙ったのか…セオリー通りといえばそうだが、あの攻撃力あってこそだな」

 

「なに冷静に分析してんだよ!!」

 

「ふふふ」

 

「なんだよ…」

 

「私との契約がなかったら死んでいた!!」

 

「くっ…」

 

どうやらヒヅキの氷を作り出す能力というのはシッキーとの契約によってのものらしい。

 

いつどこでどういった契約が行われたかはまた別の話で語るとしよう。

 

とにかくシッキーとの契約によってヒヅキは氷を色々な形に作り出す能力を手に入れた。決して無から作り出せるわけではなく、空気中の水蒸気などを集約させて凍らせて造形させるという能力らしい。あくまでそれだけの能力であって魔術などの類ではないので氷を自由に操れるという事はできないが、造形したものを武器として扱う事はできる。

 

なのでこの能力があったので先ほどの氷の盾は作りだせたわけで、シッキーとの契約というものがなければヒヅキは危なかったのだ。

 

「ふむ…今のヒヅキとの戦闘で只者ではない事はわかったな」

 

「…で、どうするよ?」

 

「あちらもまだこちらの事を色々探りながら戦っているようだし、どんな力を隠し持っているかもわからない。あちらが本気になる前に手早く二人で片付けてしまおうか」

 

「あいよ、どう動く??」

 

「流石に街から離れたとはいえ派手にやりすぎるのも目立ってしまうか…。ヒヅキは先ほどのように翻弄してくれ。私は牽制しつつ隙をみつけて打ち込む」

 

「りょーかい!!」

 

「私の攻撃に当たらないようにな」

 

「わーってるよ!!」

 

そう言いながらヒヅキはまた音もなくその場から姿を消す。

 

「さてと…では『グリム』…行こうか」

 

シッキーはそう言うと懐から分厚い本を取り出し軽く宙に放った。するとその本はまるで意志がある生き物のように宙に浮遊し、自らページを開いた。

 

「ふふ…そうだね、久しぶりの『実験』だ。私も嬉しいよ。それじゃあまず、初手は火を使いたいところだけどせっかくの暗闇だしね、ヒヅキの邪魔をしちゃいけないしこっちでいこう…リョ…ん? どうしたんだ?? え…久しぶりだから下級でも詠唱がほしいって?? …君も変わってるね…でもそういうの私も嫌いじゃないよ」

 

シッキーはグリムと呼ばれる本と会話ができるのか先ほどから何か本にむかって話している。シッキーの言葉に反応しているのか本も意志を示しているようにみえる。

 

「こほん…では改めていくよ…『我が名に於いて宣誓す。ここに織りなすは高位なる理。司るは閑寂の氷』」

 

シッキーは何やら言葉を紡いでいくと彼女の掲げた右手のひらの前に小さな魔法陣が現れた。淡く青白く輝く魔法陣を確認した彼女は次にこう放つ。

 

「リョート!!」

 

それがこの『魔術』の名なのだろう。シッキーがその言葉を放つと、魔法陣からは小さな氷の粒が大量に放出され、標的へと向かっていった。

 

そしてその標的であるミフユはヒヅキとの暗闇の攻防中であった。ただでさえ暗闇なのに相手は褐色肌で全身黒を身に纏っているせいで余計見えづらい。

 

気配を感じ取ろうにもこういった戦闘を得意としているのだろう。ヒヅキは物音や気配すら感じさせないようにしているのでミフユもかなり苦戦していた。

 

しかも先ほどとは違い接近戦だけではなく、氷の苦無のようなものなどを作り出し投擲してくるので厄介さは増している。

 

「あぁ…もう!! 鬱陶しい!!」

 

徐々に苛立ってきたミフユ。こういう戦いで冷静さを欠いてしまうとさらに相手の思うつぼではあるのだがミフユの性格ではこの状況で冷静さを保つのはいささか難しいようだ。

 

しかしそれでもミフユの戦いの勘は並ものではなかった。後方からわずかな冷気を感じてミフユは咄嗟に振り向いた。

 

すると目の前に氷の粒やつららのようなものが大量に自分に向かって迫ってきた。

 

ミフユが冷気に気づき、振り向いてそれを目にするまではほんのわずかな時間であった。それだけその氷の大群はすごいスピードで迫ってきたのだ。

 

しかしミフユは持ち前の運動能力と回避能力でそれをギリギリのところで躱した。

 

多少氷が肌をかすめてうっすら血を流してしまったが、ダメージはない。

 

「何!? 今の…」

 

ヒヅキのヒットアンドアウェイの攻撃の中で時折織り交ぜられ飛んでくる氷の刃とは全く質の違うものであった。

 

ミフユは氷の飛んできた方向を見ると、ぼんやりだがうっすら光る宙に浮いた本と驚きの顔をしているシッキーが見えた。

 

「あの子が放ったのね…そうか…そうよね…2対1か…」

 

ミフユの頬に一滴の汗が垂れ落ちる。

 

「氷の盾といい飛んでくる氷とか…この二人は氷を召喚することができるのかしら…?」

 

しかしミフユは何か違和感を感じた。なぜならこのレーヴェ大陸においてそういった『能力』を持てるのは魔族の血を色濃くもった者や竜神の加護を得た者だけであるからだ。

 

もしかしたらこの二人はその特別な者たちかもしれない。しかしミフユ自身『魔族の血を色濃く持った存在』であり、竜神の加護をもった者にも何度か会った事があるのでそういった者たちがどういった雰囲気を纏っているかなどなんとなくわかるのだ。

 

しかしこの二人からはそういったものは感じ取れない。恐らく普通の人間かその力を封印しているかどちらかだとミフユは考えている。

 

そして封印していた場合は特殊な能力は使いえないはずなのでミフユは違和感を感じているのだ。

 

確かに魔石の力をつかって水や炎を自由に操る者もいるにはいるのだが、生み出したりする事はできないのだ。

 

ヒヅキの場合は空気中の水分を集約して凍らせているというのが正しいのだが、そういった芸当も本来獣人であっても普通の人間にはできない事なのだ。

 

「どういう力なのかしら…」

 

時間にして刹那。ミフユは考えを巡らせたが結論はでない。もっと観察して考えたいところではあるが、二人がそれを許さない。

 

相変わらずヒヅキは気配を感じさせずヒットアンドアウェイで攻撃をしかけてきて、隙をつくように大量の氷が飛んでくる。時々足元を凍らせて動きを止めようとしているのか地面から冷気を感じるがそれも注意して戦わなければいけないのでミフユは防戦一方である。

 

(このままじゃヤバイわね…スーちゃん呼ぶ? それとも力を…)

 

そう考えたが途中で頭を振り考え直す。

 

「まだまだイケるはず…この状況…私ならどうにかできる!!」

 

でもどうすれば? 止まない攻撃の連鎖にミフユは考える。

 

先ほどと同じ戦法でいくか? いや、相手もかなり警戒しているので二度目は無理だろう。ならばどうするかミフユはそう考えた時ふっとモーゼスの顔が頭をよぎった。

 

(そういえばモノさんっていつも目を閉じているけど、なんでも見えてるような感じよね…)

 

モーゼスは確かにいつも目を閉じている。別に目が不自由なわけではないのだが「未熟者故、修行のために」と視界を塞いでいるらしい。

 

しかし見えていないのにミフユの容姿の事を褒めてくれたりするので一度ミフユは疑問に思い、モーゼスに確認した事がある。

 

服の色や形、そしてミフユのその時の表情や髪型などを問うと、モーゼスは全て正確に言い当てたのだ。

 

ミフユはどうしてわかるの?? と何度聞いても、「うっすら目を開けて見ていたのです」とはぐらかされた。

 

ミフユは目の前で、しかも目をあけていなかも確認するためにずっとモーゼスの瞼の動きに注意してみていたのでそれが嘘だという事はわかっていた。

 

どれくらいの修行をすればその域に達するのかはわからないがふとモーゼスとのやりとりを思い出したミフユはモーゼスの真似をするようにそっと瞼を閉じた。

 

ずっと暗闇だったので状況は対して変わらないと思った。

 

しかし瞼を閉じる事でうっすら見えるものすらなくなった事で何か雑音が消えたような感覚になった。

 

モーゼスの顔を思い浮かべたからかいつの間にかミフユの心は落ち着きを取り戻していて、そのせいなのか瞼を閉じたからか先ほどよりもヒヅキの気配が感じ取りやすくなった気がした。

 

この間も二人の攻撃の連鎖は止まらなかったが、少し単調になっていた二人の攻撃を避けるのは落ち着きを取り戻したミフユにとってそこまで難しい事ではなかった。

 

(なんでかわからないけど、さっきより動きがわかる…攻撃のリズムが一定…おそらく遠くから飛んでくる氷の大群はあの獣人の子の動きにあわせてる…そしてこの獣人の子は白い子が攻撃しやすいように単調な動きになってしまっているのね…)

 

お互いを気づかいながら戦う二人にミフユはなぜか笑みがこぼれた。

 

もしかしたらそういう事ではないのかもしれないが、ミフユには気をつかいあう優しい子たちに見えてしまったのだ。

 

一瞬気が緩んでしまったが、ミフユは気を引き締めなおす。

 

(今の単調な動きになら呼吸を合わせられる。もう一段回ギアをあげれば現状のスピードにもついていけるかしらね…)

 

ミフユはそう心の中で呟き、一呼吸おいて大地を蹴る。

 

そしてミフユはヒヅキの次の動きを予測し、それに合わせるよに動いた。

 

ミフユは先ほどまでほぼ感じ取れていなかったヒヅキの動きを瞼を閉じ、集中する事によって感じとれるようになっていた。そしてヒヅキの行動パターンを読んでそれにあわせて動いたのだ。

 

まさかこの暗闇でさきほどまで全く自分を捉えられていなかったのでヒヅキは突然ミフユが自分の目の前に現れてぎょっとした。

 

「なっ!?」

 

気づいた時には目の前のミフユは拳を振ってきてはいたがミフユはチャンスと思い大振りしてしまったせいで容易く避けられた。それでもすさまじい拳圧だったため、ヒヅキの額からは嫌な汗が流れた。

 

「っぶねー…」

 

思わずヒヅキは呟いた。そんな事を呟きつつも動きは止める事はなかった。なかったのだが、今まで防戦一方だったミフユがぴったりとその動きについてきて攻撃をしかけてくるようになった。

 

形勢逆転だ…と言いたいのだが、ミフユの力任せの攻撃はヒヅキにかすりもしなかったのだ。

 

元々力でねじ伏せるタイプの戦闘スタイルのミフユはここまでの速さをもった敵と実戦で戦った事がなかった。そして中々捉えられない敵に対して一撃で仕留めようと心のどこかで思ってしまい大振りになってしまっていた。

 

(くっ…当たらないわね…)

 

視界を完全に塞ぎ感覚だけで動きについていけるようになった。攻撃に転じる事もできた。しかし当たらない。冷静になっていたミフユの心だったが再び苛立ちを覚えはじめていた。

 

しかしそこに今度はある言葉が脳裏によぎった。

 

『ミフユ様、確かにミフユ様の圧倒的な女子力を前にすれば倒せない敵はいないでしょうけど…それは当たればのお話ですわ』

 

ミフユは過去の組手後に言われたロゼッタの言葉を思い出した。

 

『同等のスピードを持った相手になら今のような力任せの攻撃でも相手をねじ伏せる事は可能でしょうが、もしその相手がミフユ様以上だった場合そう簡単に攻撃を当てる事はできないでしょう』

 

当時ロゼッタにそれを言われた時はミフユはスピードにも自信があったため、そんな相手なんて現れないと思っていた。しかし今目の前に自分以上の速さを持つ者が現れたのだ。

 

『もし自分より速い相手と戦う事になった時は、自慢の女子力を抑えて鋭く速くを心がけてくださいまし。蝶のように舞い、蜂のようになんとやらですわ!!』

 

(悔しいけど、目の前のこの子は私よりスピードは断然上。でも女子力は私の方が上!! 多少力を抑えても当たればかなり効くはず!!)

 

ミフユはロゼッタの言葉を思い出し、自慢の女子力という名のパワーを抑え、ロゼッタの言うように鋭く速く攻撃を繰り出す事に重点を置いた。

 

(鋭く、速く!!)

 

ミフユは拳を繰り出す。先ほどのように大振りがくると思ったヒヅキは先ほどとは違う攻撃に驚くが辛うじて頬をかすめる程度で躱した。

 

「…っ!?」

 

もう一度大ぶりな攻撃がきたらカウンターを入れてやろうと思っていた矢先に鋭い攻撃がきたヒヅキはまたもペースを崩された。

 

「こいつっ…なんだんだよっ!?」

 

少し焦りを感じたヒヅキは一気に間合いを取ろうとしたがミフユはそれを許さなかった。

 

(もっと…鋭く速く…鋭く速く…)

 

徐々に鋭さと回転が上がる拳がヒヅキの体を捉えていく。

 

ヒヅキは避ける事が困難と思ったのかガードを固めた。しかし機関銃と化したミフユの拳が徐々にヒヅキのガードをこじ開けていく。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

ここぞとばかりにミフユは閉じていた瞼を開き気合いの籠った声をあげ、ヒヅキの腕へと拳の雨を降らせていく。

 

火力を下げたといってもミフユのパワーはかなりのものである、ヒヅキの腕は徐々にミシミシと嫌な音がしてくる。

 

攻撃の速度が速いため、先ほどのような氷の盾を形成する余裕はない。

 

このままガードをし続けると危険だと本能が訴えかけると同時に腕に力が入らなくなった。

 

その瞬間にヒヅキのガードはミフユの拳によって弾き飛ばされた。

 

「はぁっ!!」

 

全てががら空きになり、体勢を崩したヒヅキの顔面にミフユはその右拳をめり込ませる。

 

ヒヅキはその衝撃から顔面を変形させ吹き飛ばされた。

 

「ぐはっ!!」

 

かなりの距離を飛ばされたが、なんとか意識はあった。

 

本来ならばミフユのフルパワーの一撃をその顔面に食らってしまったら恐らく頭は吹き飛んでしまうだろう。

 

しかし鋭く速くを心に念じていたミフユのパワーは抑えられ、しかもずっと拳を繰り出し続けていた事でかなりの疲労が蓄積され威力は大幅に落ちていた。

 

とはいえヒヅキの動きを止め、戦意を喪失させるには十分な一撃だった。ヒヅキはふらふらっと立ち上がるがすぐに膝をつく。

 

それを確認したミフユはもう一人の敵に目を向ける。

 

ヒヅキとは違い、シッキーの方はすぐにその場所を認識できた。なぜならばミフユはシッキーから流れる魔力を感じていたのだ。

 

通常『能力』を扱う時は誰しも体内に蓄積された魔力をどこかに集約しそれを放出したりと様々なのだが、その時膨れ上がる魔力は『能力』を扱う者であれば感知できる。

 

もちろん膨れ上がった魔力がどれくらいの量かなどがわかるだけで、どういった『能力』を使ってくるかなどはわからない。

 

ただシッキーのそれは魔族や竜の加護を得た者の『能力』を扱う時の魔力の流れが違っていた。

 

どちらかと言えば私生活でほとんど魔力を持たない人間たちが魔石の力を使うために魔石に魔力を流し込むそれに似ているようだった。

 

ただ流れ出る魔力の大きさが全く違うのだ。それだけでもミフユは彼女が特別で危険だという事を感じていた。

 

ヒヅキが立ち上がれない事を確認しすぐにでもシッキーの懐に潜りこむべきだったのだが、ミフユはその違和感と興味でつい数秒シッキーを観察してしまった。

 

しかしこれが失敗であった。

 

シッキーはミフユがヒヅキを捉えはじめた時からもう次の準備をはじめていたのだ。

 

まぁまさかあんなにも早くヒヅキを捉えそして倒すとは思っていなかったので多少焦ったようだが、ミフユの動きが少し止まった事で準備が完了してしまった。

 

「スィクリアの名に於いて宣誓す。ここに織りなすは高位なる理。司るは清白の水」

 

シッキーのその詠唱でミフユの足元に巨大な魔法陣が出来上がる。

 

そしてミフユはそれに気づいた時には逃げ場がないとさとりとっさに防御態勢に入る。

 

「フェヤ・ヴァダー!!」

 

シッキーのその声とともに地面に描かれた魔法陣からミフユに向かって複数の水の渦が弾丸となって襲い掛かる。

 

「くっ…あっ…」

 

あまりの水圧とその量にミフユの体は浮き上がり固くガードをしているが四方八方から襲い掛かる水にかなりのダメージを負ってしまう。

 

(氷の次は水…しかも魔法陣からって…これは私たちのような『能力』じゃない…これは…)

 

攻撃を受けつつもミフユは相手の力を分析していた。

 

どれくらいの攻撃を受けたであろう…宙へと舞い上がったミフユの体はようやく解放される。

 

地面に叩きつけられぬよう辛うじて体勢を立て直し着地する。

 

(危なかった…おじい様からもらったこの装備じゃなかったらどうなってたか…)

 

コテツからもらった新装備はどれだけの攻撃をうけても傷ついていなかった。しかしダメージをゼロにできる訳ではない。ただでさえ打たれ弱いうえに軽装なのでミフユへのダメージは決して小さくはない。

 

「ほう…あれで倒せるとは思ってはいなかったが、流石ヒヅキを追いつめただけの事はある…だけど…ヒヅキ!!」

 

「お…おぅ…」

 

まだ辛そうなヒヅキだったがシッキーに呼ばれ、ヒヅキは右手を大地に添える。

 

ミフユはまだ戦えるだけの力は残っていたので立ち上がってはいたがシッキーのヒヅキへの合図でミフユはハッとなった。

 

さっきのシッキーの攻撃で辺り一面と自分が水浸しであり、ヒヅキがその水浸しの大地に手を添えている。

 

(やばっ!!)

 

そう思って大地を蹴り跳躍しようとしたが先ほどのダメージで一瞬膝がカクンッと折れてしまった。

 

そしてヒヅキは右手に力を込めた。すると水浸しの大地はどんどんと凍っていき、その氷の波はミフユへと迫って行く。

 

再度跳躍を試みるも時すでに遅し。ミフユの足元へと迫った氷はミフユの脚を凍らせた。

 

「くっ…」

 

そして水浸しになっていたミフユの体もピキピキと音をたて徐々に凍り付いていく。

 

どうにかしようと体を動かしてみても最早体はほぼ動かなかった。そしてやがて、ミフユの体は全て氷漬けにされてしまったのであった。

 

「我々の勝利だ」

 

そう言ってシッキーは少し微笑みヒヅキの元へと歩いて行き膝をつく彼女に手を差し伸べた。

 

「勝ったからいいけど、かなり痛てぇ」

 

ヒヅキもフッと笑いながらその手をとり起き上がる。

 

「で、これどうするよ。このままにしておくのか??」

 

ヒヅキは氷漬けにされたミフユの方を指さしシッキーに問う。

 

「もう命は尽きてはいるだろうがここに放置はあまりにも目立ちすぎる。海にでも投げ捨てようか」

 

「なんだか俺らものすげぇ残酷な事してねぇか?」

 

「元暗殺部隊が何を言っているのだか」

 

「ぐ…と…とりあえず運ぶか」

 

そう言いながらヒヅキはその氷の塊に手を伸ばした。しかし思いがけない言葉が自ら発せられヒヅキは理解ができなかった。

 

「あつっ!!」

 

その氷はなぜか熱かったのだ。

 

「なんだこれ…滅茶苦茶熱かったぞ!!」

 

「はぁ?? ヒヅキ…氷が熱いわけ…」

 

そう言いかけたシッキーだったが辺りの温度が急激に上がっているのに気づく。

 

「な…なんだこれは…一体何が…」

 

「何がって…こいつまだ生きてるんじゃねぇのか!?」

 

「そんな馬鹿な…あそこまで追いつめて氷漬けにしたのだぞ!! 一体どうやって…」

 

理解不能という二人だが、目の前のその氷は徐々に溶けているようにみえる。そしてシッキーはそこから溢れ出る魔力を感知し声を上げた。

 

「!? …ヒヅキ下がるぞ!!」

 

その言葉にヒヅキはギリギリの体力でシッキーを担ぎ溶けかけた氷塊から離れる。

 

「グリム!! シチナー!!」

 

シッキーは魔術書に命令し光の壁を生成する。

 

そしてその瞬間溶けかけた氷の塊は爆砕した。

 

「くっ!!」

 

「ぐおぉぉぉ…」

 

光の壁で防御しているとはいえあまりの衝撃に二人は声を上げる。

 

そして二人は目の前にいるそれを凝視する。

 

爆砕した氷の中から現れたのはもちろんさきほどまで氷漬けにされていたミフユだった。

 

もう死んでいると思っていた人物が目の前で動いているという事にも驚いていたが、それよりも二人が驚いたのはその見た目だった。

 

体中から黄金の炎のようなオーラを身に纏い、その沸きあがるオーラで長い金髪はゆらゆらと逆立ちそうなくらい揺れている。

 

そして余りの輝きに漆黒の闇に包まれていたこの空間も明るく照らされている。

 

「あんたたち…人が『能力』も『刀』もつかわないでいたのに…調子に乗って…」

 

怒りのこもった声でミフユが呟く。かなり怒っている様子だ。

 

しかし相手の力量もわからず気をつかってだったとしても手を抜いて自ら死にかけたというのはミフユが悪い気もするのだが、本人はそんな事よりもいいように手玉にとられたのがかなり悔しいのだろう。

 

「な…なんだあの膨大な魔力はっ…今までこんな魔力感じた事ないぞ!!」

 

「お…おい…どうすんだよこれ…」

 

「ふむ…私の『上級魔術』でなんとかできるかもしれん。ヒヅキ時間かせぎを…」

 

「無理に決まってんだろ!! まだ脚ふらふらだ!!」

 

「では私も奥の手を…」

 

そんな事を言っているうちにいつの間にか怒りの形相のミフユは目の前にいた。

 

詠唱なしの即席の防御の魔術ではあったが、シッキーはこの壁の防御力には自信があった。もし破壊されたとしてもそれまでの間に壁をさらに強固なものにし、態勢をを立て直そう。シッキーはこの時はこう考えていた。

 

「ふっ…この強固な壁を打ち破れ…」

 

バリーン!!

 

「あれ??」

 

シッキーが自信満々に言いかけたところでミフユは軽く殴っただけで光の壁を粉砕した。

 

「いや…え?」

 

理解ができないようだ。おそらくシッキーも数々の知識を経たり経験をしてきたのだろう。だからこそ自分の力にも自信はあったし、どんなに強力であった攻撃もこの壁で防御してきたのであろう。

 

しかし一人の人間のジャブによってそれが簡単に破壊されたのだ。理解できるはずもない。

 

隣のヒヅキはというともう何かを悟ったかのように穏やかな顔をしていた。

 

シッキーは咄嗟に詠唱をはじめようとするが目の前の『化け物』は思いっきり右拳を振り上げている。

 

間に合う訳がない。下級の魔術であれば詠唱を短縮して瞬時に放てるが、目の前の相手がその程度で止まるはずもない。

 

相手を見下していた訳ではない。ただ色々な状況を考えて自分たちに分があるというのは明白だった。

 

現にさっきまでは多少の差異はあったがシッキーの思い描くシナリオ通りに事は進んでいた。

 

しかし相手はそれを上回り、ぶち壊してきたのだ。

 

隣にいるヒヅキはもう諦めているようだが、シッキーはまだあがこうとしていた。

 

というよりまだ奥の手があるのだ。それを使う他生き残る手段はないと考えた。あとは間に合うかどうかだ。

 

ミフユは振り上げた拳を思い切り振り下ろす。

 

シッキーはその刹那の中で己の力を解放しようとした。しかしそれは実行されなかった。

 

なぜか目の前に人が立っていて、ミフユの拳を受け止めていたからだ。

 

シッキーはそれに驚き、力を解放する事をしなかったのだ。

 

「いってー…ちょっと痺れた〜…」

 

目の前の青い衣を身に纏った男がそう呟いた。

 

「ちょっとおねぇ様、落ちつこーぜ」

 

その言葉とともに受け止めていた拳を押し返す。

 

その光景を目の当たりにして、ヒヅキの出かけていた魂ももとに戻る。

 

「スー…ちゃん? …あれ??」

 

どうやらミフユは怒りで我を忘れていたらしく、目の前の男…シッキーを庇った使い魔スティンガーに拳を止められた事によって我に返ったようだ。

 

「とりあえずその物騒な金ぴかの炎しまえって」

 

「あ…あぁ」

 

スティンガーにそう言われると、ミフユの体に纏っていた黄金の炎はフッと消えた。

 

「ったく…なんか変な感じがして来てみたらなにやってんの? 人間殺すの??」

 

「う…面目ないわ…ついカッとなって…」

 

「はぁ…これはモノさんに説教してもらう案件ですわ」

 

「うぅ〜…」

 

スティンガーにそう言われうなだれるミフユ。そこへハルカがやってきた。

 

食い逃げ犯を追うミフユを追ってはみたものの、普通の人間のハルカには追い付けるはずもなく。街中を探し回っていたらしい。

 

どうやらさっきのミフユが炎を身に纏ったおかげで明るくなった場所を見つけ、もしかしてとここへと辿り着いたようだ。

 

「あ〜いたいた。やっぱさっきの光ミフユだったか〜。おかげで見つけられたけど…食い逃げ犯生きてる?」

 

「あぁ?? おい赤いの!! てめぇ一緒にいて何してたんだよ。そして食い逃げってなに?」

 

「あ〜…スーちゃん…なんとなく把握したわ…」

 

ハルカはうなだれているミフユとなぜかここにいるスティンガー、そして尻餅をついてポカンとしている食い逃げ犯を見て大体の事を把握した。

 

そしてどうしてこうなったかを簡単にスティンガーに説明した。

 

「なんだよ、そこのお前らが完全に悪いじゃねぇか」

 

「そ…そうなのよ!!」

 

少し息を吹き返したミフユである。

 

「しっかしあれだね…お前らもおねぇ様怒らすなんて中々やるようだけど…うちの暴れん坊女王相手とは運が悪かったな」

 

「誰が暴れん坊女王よ!!」

 

「いや、間違ってはいないし」

 

同意するハルカに「む〜」と言うしかないミフユであった。

 

食い逃げ犯コンビは先ほどからポカンとしつつもちゃんと会話を聞いていたのだが逃げようと思えば逃げられるくらいの猶予はあった。

 

しかし先ほどのミフユの力を目の当たりにして逃げられる気もしなかったし、何より蒼い衣を着た男から逃がさねーぞという気配がビンビン伝わってきて何故かこの人物からは逃げられる気がしなかったので黙って話を聞いていた。そしてその会話の中で二人は色々と気になる事があった。

 

「ミフユ…女王?? えぇっと…金髪のあなた…一体何者なのですか??」

 

流石にこの状況。素ではなくよそ行きバージョンで話しかけるシッキー。

 

「私?? ん〜…食い逃げ犯に名乗る名前はないって言いたい所だけど、ちょっと色々聞きたい事あるし、ちょっとあなた達に興味が沸いたので名乗ってあげましょう。私はレグルス王国の国王。ミフユ=レグルス=キサラギよ」

 

その言葉を聞きシッキーとヒヅキは驚いた顔でお互い顔を向けあう。

 

「まぁ驚くのも無理ねぇわな…普通こんなとこに一国の主がふらふらしてる訳ねーもんな!!」

 

ケタケタと笑うスティンガーであったが、二人が驚いていたのはそういう事ではなかったのだがそれは後ほど。

 

「で、あなた達なんで食い逃げなんてしたの??」

 

ミフユの問いに少しうつむき何かを考えている様子のシッキーだったがやがて顔をあげ話しだす。ヒヅキはその様子を見つめていたが話はシッキーに任すというような顔つきであった。

 

「実は私たちはレーヴェ大陸の人間ではないのです」

 

「ちょっと待って、いちいちそんな喋り方かえなくていいわよ。自分の喋りやすいようにして」

 

ミフユのその言葉に「では」と付け加えシッキー本来の話し方で話を進める。

 

「私たちは北の大陸…白銀島から来たのだ」

 

唐突な話し方の変化とその声とのギャップにやはりハルカも驚いていた。やはり皆最初は驚くのだろう。スティンガーは興味なさそうであるが。

 

「えっ!? 白銀島!? 本当に??」

 

「うむ。逃げてきた…というのが正しいのだが」

 

「亡命…でも白銀島はずっと鎖国していたせいもあってレーヴェ大陸への上陸を許可していないはずよ??」

 

「…だからこっそりと…」

 

「あ〜…食い逃げで密入国…」

 

頭を抱えるミフユだが気になる事もあったので質問をする。

 

「しかし逃げてきたって…一体何があったの?? そちらの国の情報などは全く入ってこないから…」

 

ミフユのその質問にシッキーは本当の事を言おうか迷ったが、ここへきて嘘などついても仕方がないと思ったのか大まかにだが真実を話す事にした。

 

「実は白銀島のセレクシア王国という国があってだね。我々はそこの出身で…まぁ元々国としてはそこまでちゃんとは機能してはいなかったのだが…それが一人…いや、二人か…ある人物達が急に国へとやって来て一日もたたないうちに国が乗っ取られたのだよ」

 

「え…乗っ取られた?? しかも一日って…」

 

「私も正直驚いた。しかし国は簡単に落ちたのだよ。ただ…」

 

「ただ?」

 

「悲しい事に乗っ取られた国は以前よりもいい方向に向かっていったのだ」

 

「え…なんとも複雑ね…」

 

「うむ…だが違和感を感じた私は色々調査をしていたんだ。そして奴らの本当の目的がわかった」

 

「本当の目的??」

 

「封印された竜神の力を狙っていたんだ」

 

「竜神の力…」

 

ミフユたち一同はまさかここでその言葉を聞くとは思っていなかった。どうやらこれは思っているよりも大きな話になりそうだとミフユは直感する。

 

「それを知った私たちはどうするか考えた。しかし我々だけではどうしようもできない。そしてもし奴らが竜神の力を手に入れれば最早白銀島だけの話ではなくなると…

 

そして情報を集めていくうちにレーヴェ大陸の『レグルス王国』には強者が集っているという情報を得たのだ」

 

「なるほど…それで応援を要請しようと??」

 

「うむ、密入国しか手段がなく…そして我が国の硬貨がこの大陸では使えないという事を恥ずかしながら考えが及ばず気づいた時には逃げてしまっていたのだ」

 

このシッキーの言葉にヒヅキはジト目になるのを必死に耐えていた。疑われてしまってはこのシッキーの演説も台無しになるからだ。

 

しかし心の中ではこう思っていた「よく言うぜ」と。

 

「そういう事だったのね…はぁ…わかりました。お店の方には私からお金払います」

 

「えっ!? いいのかよ!!」

 

ミフユの嬉しい申し出に思わずヒヅキが声をあげてしまう。あまりに素直に喜んでしまったため少しシッキーに睨まれた。

 

「で、お金払ってないのはさっきのお店だけ??」

 

「いや…実は宿屋と酒場も…」

 

「まったくもう…とりあえずお金は払ってあげるけど、謝りには一緒に行くわよ」

 

そのミフユの言葉に流石に二人は「はい」と素直に返事をする。

 

「そういえば二人の名前聞いてなかったわね。あ、ちなみにこっちの赤いのが補佐のハルカで青いのがスティンガーね」

 

あえてミフユは簡単に紹介をした。ミフユの中である程度仮設は立ててはいるが、自分の知らない『力』を扱うシッキーの前で使い魔というのはあまり今は言いたくはなかったのだ。その意志が伝わったのかいつもならちゃんと紹介しろとか騒ぎたてるスティンガーも特に何も言わなかった。

 

「私はシッキー。そしてこっちの獣人が」

 

「ヒヅキだ」

 

「夜露死苦」

 

「ん? あぁよろしく」

 

「…夜露死苦ぅ」

 

「あ? なんだよその言い方。よろしくって言ってんだろ」

 

ミフユはヒヅキの挨拶の仕方に何を期待したのかなぜか不満そうだった。

 

その後ハルカは回復魔術でヒヅキの怪我の手当てをした。シッキーも回復の魔術はできのだが、してくれるというので任せる事にした。

 

そして動けるようになった二人をつれて一行は先ほど食い逃げをした店へと謝罪に行った。

 

お金を払っても文句などは言われたが、レグルスの女王ミフユに免じて許してくれた。

 

そして宿屋と酒場に謝罪に行ったらミフユはこんな事を言われた。

 

「まさか本当にお金払いにきてくれるなんてね!! 半信半疑だったけど身なりも言葉遣いもちゃんとしてたし信じてあげたんだよ!!」

 

と。どうやらシッキーはよそ行きバージョンで「後日国の者が払いにきます」と大ホラを吹いてやりすごしていたらしい。

 

酒場と宿屋はこれでいけたらしいのだが先ほどの飲食店では上手くいかずにイライラした結果素が出て暴言をはいてしまったらしい。

 

「まったくあなた…さっきの話も本当か怪しくなるわね…」

 

「う…あれは全部本当なのだが…追い込まれるとつい…」

 

「…さっきもある意味追い込まれてなかった?? …まぁいいわ。詳しい話はまた明日聞くわ。とりあえず今日はもうお金払ってあるからここに泊まりなさい」

 

「何から何まで申し訳ない」

 

「明日の朝にまたここにくるから」

 

「了解した」

 

「それじゃあおやすみなさい」

 

ミフユはそう言って宿屋を後にし、ハルカとスティンガーもあとを追った。

 

そしてシッキーとヒヅキは部屋と向かった。

 

「なぁおいシッキー…たまたま目的の女王に会えたけどよ。この先大丈夫か?? 疑われてねぇかな?」

 

「疑うも何も私はほぼ真実しか言ってないぞ」

 

「ほぼって…説明してない部分もあるしよぉ…それに俺はやっぱり王族ってやつが苦手だ」

 

「気持ちはわかるが我慢してくれ。目的のためだ」

 

「まぁそれはわかってるさ」

 

「とにかくまずはこうやって我々を助けてくれた。全く信用していなかったらこんな施しを与えないだろう」

 

「それもそうだが…」

 

「相変わらず心配性だなヒヅキは。とにかく明日我々を国へと連れて行ってもらえるように話を進めなければ。そこからだ」

 

「まぁそうだな…それを考えたら今日はかなり収穫アリって事だよな」

 

「うむ、その通りだ。お金も気にせずに休める訳だしな!!」

 

「俺はもっと安っぽい寝床のが好きなんだけどな…」

 

「文句が多いなヒヅキは…床にでも寝ればいいだろう」

 

「それはちょっと嫌だ」

 

なんやかんやとやり取りする二人であったがなにやらレグルス王国へと向かう目的は救援だけではないようだ。

 

しかしミフユもその事は薄々感づいているようで、宿屋を出た後鳥モードになっていたスティンガーに「大丈夫なのかよ? 信じんの?」と言われていた。

 

それに対しミフユはこう答えた。

 

「大丈夫かどうかはわからないけど、一旦信じはするわ。それにあのシッキーって子の技術…もしかしたらうちにとっても有益になるかもしれない」

 

ミフユの言葉にハルカが「そうなの?」と首を傾げるとミフユは続ける。

 

「えぇ、私の考えが当たっていたらかなりすごいわよ。また明日確認してみてからだけど」

 

「へぇ〜私も興味あるわ。ミフユがそこまで言うなんて」

 

「まぁスーちゃんの心配もわかるけど、もしあの二人が何か企んでるとしても、うちにきてどうこうできると思う??」

 

「まぁ…それもそうか…」

 

「とにかく今日はヴェルに頼んでもう一泊させてもらってまた明日詳しい話を聞いてみましょう。スーちゃんは帰ってこの事をモノさんに伝えて貰える? それで、また明日の朝にこっち来て」

 

「あいよ」

 

「でもまぁ…もし本当にただの食い逃げ犯なら明日宿屋行ってもいないでしょうけど」

 

「そしたらどうするの??」

 

ハルカの問いにミフユは「当然!!指名手配!!」と本気なのか冗談なのかわからない口調で言うのであった。

 

 

 

 

かくして今回の食い逃げ騒動からはじまった事件ではあったが、今後のレグルス王国にとって大きな出会いになる…ミフユはそんな予感をしていた。

 

そしてそれと同時に何かが動きだしているという事も実感していて不安な気持ちにもなっていたのであった・・・。